幸徳秋水 帝国主義論
第一章 緒言
○盛なる哉所謂帝国主義の流行や、勢ひ燎原の火の如く然り。世界万邦皆な其膝下に摺伏し、之を賛美し崇拝し奉持せざるなし。
○見よ英國の朝野は挙げて之が信徒たり、独逸の好戦皇帝は熾に之を鼓吹せり、露国は固より之を以て其伝来の政策と称せらる、而して佛や墺や伊や、亦た頗る之を喜ぶ、彼米国の如きすら近来甚だ之を学ばんとするに似たり。而して我日本に至つても、日清戦役の大捷以来、上下之に向て熱狂する、駻馬の軛を脱するが如し。
○昔者平時忠誇て曰く、平氏に非ざる者は人にして人に非ずと、今の時に於て帝園主
義を奉持せざる者は、殆ど政事家にして政事家に非ず、国家にして国家に非ざる一の観
あり。彼れ其れ果して何の徳あり、何の力あり、何の貴重すべぎ有つて、其流行の能
く如此きを致せるや。
○蓋し国家経営の目的は、杜含永遠の進歩に在り、人類全般の福利に在り。然り単に
現在の繁栄に在らずして永遠の進歩に在り、単に小数階級の権勢に在らずして全般の
福利に在り。而して今の国家と政事家が奉持せる帝國主嚢也着は、吾人のために幾何
か這箇の進歩に資せんとする乎、幾何か這箇の福利を興へんとする乎。
第二章愛国心を論ず
17○我國民を膨脹せしめよ、我版図を拡張せよ、大帝国ｸﾞﾚｰﾀｰｴﾑﾊﾟｲｱを建設せよ、我国威を発揚せよ、我国旗をして光栄あらしめよ、是れ所謂帝国主義者ｲﾑﾍﾟﾘｱﾘｽﾄの喊声也。彼等が自家の国家を愛するや深し。
○英國は南阿を伐てり、米国は比律賓を討てり、独逸は膠州を取れり、露國は満洲を奪へり、佛国はフアシヨダを征せり、伊太利はアビシニアに戦へり。是れ近時の帝國主義を行ふ所以の較著なる現象也。帝国主義の向う所、軍備、若くば軍備を後援とせる外交の之に伴はざるなし。
第三章 軍国主義を論ず
64○嗚呼世界各国の政治家や国民や、何ぞ爾(しか)く多数の軍人、兵器、戦艦を擁して、長く相挑まんとするや。何ぞ速かに其相欺くこと野狐の如く相喰むこと病犬の如きの境を脱出して、更に高遠なる文明道徳の域に進入するを努めざるや。
○彼等は戦争の罪悪にして且つ害毒なることを知れり、彼等は可及的之を避けんと希はざるはなし。彼等は平和と博愛の、正義にして且つ福利なることを知れり、彼等は可及的速に之が実現を望まざるはなし。而かも何ぞ断々乎として其戦争に対する準備を廃して、以て平和と博愛の福利を享けざるや。
○彼等は生産の廉価にして且つ饒多ならんことを希へり、通商貿易の繁栄隆盛ならんことを希へり、而して軍借が莫大の資本を消靡し、生産力を損耗うることを知れり。戦争が通商貿易を阻礙し困頓せしむるの太甚なることを知れり。而も何ぞ直ちに軍備の費用と戦争の力を節省して、之を商工の業に投ぜざるや。
第四章 帝国主義を論ず
89 国民既に小也、国家豈能く大なるを得んや。其大なるが如きは即ち一時の泡沫のみ、空中の楼閣のみ、砂上の家のみ。大風一過すれば消えて跡なき雲霧と一般なるは・・・・
泡沫的膨張
○今や我日本も亦此主義に熱狂して反らず。十三師団の陸軍、三十万屯の海軍は拡張されたり。台湾の領土は増大されたり、北清の事件には軍隊を派遣せり、国威と国光は之が為に揚れり。軍人の胸間には幾多の勲章を装飾せり、議会は之を賛美せり、文士詩人は之を謳歌せり。而して是れ幾何か我国民を大にせる乎、幾何の福利を我社会に与へたる乎。
○8000万円の歳計は数年ならずして3倍せり。台湾の経営は占領以来1億6000万の費を内地より奪い去れり、2億の償金は夢の如く消失せり、財政は益す紊乱せり、輸入は益す超過せり、政府は増税に次ぐに増税を以てせり、市場は益す困迫せり、風俗は益す頽廃し、罪悪は日に増加せり、而も社会改革の説は嘲罵を以て迎えられ、教育普及の論は冷笑を以て遇せらる、国力日に竭き民命日に蹙セマる。若し如此くにして滔々底止することを知らざる数年ならしめば、我は信ず、東洋の君子国が2500年の歴史は、黄梁一炊の夢たらんのみ。嗚呼是れ我日本における帝国主義の功果に非ずや。
○故に我は断ず、帝国主義なる政策は、少数の欲望の為めに多数の福利を奪う者也、人類の自由平等を殲滅し、社会の正義道徳を爿戈賊ショウゾクし、世界の文明を破壊するの蠧賊也と。
第5章 結論
92○而して今や此愛国的病菌は朝野上下に蔓延し、帝国主義的ペストは世界列国に伝染し、20世紀の文明を破毀し尽さずんば已まざらんとす。
○……世界的大革命の運動を開始せよ。少数の国家を変して多数の国家たらしめよ、陸海軍人の国家を変して農工商人の国家たらしめよ、貴族専制の社会を変して平民自治の社会たらしめよ、資本家横暴の社会を変して労働者共有の社会たらしめよ。而して後ち正義博愛の心は即ち偏僻なる愛国心を圧せん也、科学的社会主義は即ち野蛮的軍国主義を亡さん也、ブラザーフードの世界主義は即ち略奪的帝国主義を掃蕩苅除することを得べけん也。
○能く如此にして、吾人は初めて不正、非義、非文明的、非科学的なる現時の天地を改造し得て社会永遠の進歩以て期す可く、入類全般の福利以て全くすき也。若し夫れ然らず、長く今日の趨勢に放任して以て省みる所なくんば、吾人の四囲は唯た百鬼夜行あるのみ、吾人の前途は唯た黒闇々たる地獄あるのみ。
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非戦論
1900年中国で起こった義和団の蜂起に対し日本が出兵した際，幸徳秋水が〈非戦争主義〉(《万朝報》1900年8月7日)を書いて平和を説き非戦争を唱えたことに始まる。
「我は信ず、将来米国が国家生存の危険てふこと、万一これありとせば、その危険は決して領土の狭きにあらずして、領土拡張の究極なきにあり、対外勢力の張らざるにあらずして、社会内部の腐敗堕落にあり、市場のすくなきにあらずして、富の分配の不公なるにあり、自由と平等の滅亡にあり、侵略主義と帝国主義の流行跋扈ばっこにありと」
「嗚呼二十世紀の新天地、吾人はいかにしてこれが経営を完まったくせんか」と、新世紀 の課題を展望する秋水は、我らは「世界の平和」「道徳の隆興」「自由と平等」「生産分配の公平」を求めるのに、帝国主義はこれを撹乱し、破壊すると述べた。帝国主義はペストの流行のごとく、触れるものはたちまち亡滅しなければやまず、「愛国心」はこの細菌である。しかもこの「帝国主義的ペスト」は世界列国に伝染して二十世紀の文明を破壊しつくさずには止まない。「社会改革の健児として国家の良医をもって任ずる志士義人」は、この帝国主義を乗り越えるために、「社会国家に向かって大清潔法を施行せよ、換言すれば世界的大革命の運動を開始せよ」と秋水は言い、次のように述べている。
少数の国家を変じて多数の国家たらしめよ、陸海軍人の国家を変じて農工商人の国家たらしめよ、貴族専制の社会を変じて平民自治の社会たらしめよ、資本家横暴の社会を変じて労働者共有の社会たらしめよ。而しかして後ち正義博愛の心は即ち偏僻へんぺきなる愛国心を圧せん也、科学的社会主義は即ち野蛮的軍国主義を亡ほろぼさん也、ブラザー フードの世界主義は即ち略奪的帝国主義を掃蕩刈除かいじょすることを得べけん也。
幸徳秋水は今の軍備は「平和を確保する所以」ではないことを強調した。「功名の念」と「虚栄の心」につき動かされる政治家や軍人は、その「銃砲」や「戦艦」を空しく錆びるにまかせ、朽ち果てさせることが出来ず、必ずや「一日機を見て之を実地に試みん」と願うのである。「酔漢の剣を持して睥睨へいげいする」ようなもので、危ないことこのうえない。たしかに「両々相持して力相当るの欧州列国の間」では、「勢力均衡主義」の名において、しばらく平和の確保者となることができようが、力の弱いアジア、アフリカなどに対しては、たちまちいわゆる帝国主義の名において「平和の撹乱者」となると幸徳は述べている。
「今や我日本も亦此主義に熱狂して反らず。十三師団の陸軍、三十万屯の海軍は拡張されたり。台湾の領土は増大されたり、北清の事件には軍隊を派遣せり、国威と国光は之が為に揚れり。軍人の胸間には幾多の勲章を装飾せり、議会は之を賛美せり、文士詩人は之を謳歌せり。而して是れ幾何か我国民を大にせる乎、幾何の福利を我社会に与へたる乎。」
03年7月刊の《社会主義神髄》は初期社会主義の記念碑的著作となった。
10月日露開戦論に転じた《万朝報》を堺利彦とともに退社，11月平民社を興して週刊《平民新聞》を創刊し，戦争反対の立場を鮮明にして帝国主義戦争の本質をついた。04年3月の社説〈与露国社会党書〉では労働者階級の国際的連帯を訴え，11月には堺と共訳の《共産党宣言》を掲載する。05年2月筆禍事件のため巣鴨監獄に入獄，獄中でクロポトキンの無政府主義思想に関心を抱く。
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